「奇跡は余白に舞い込む」という言葉がある。
世界を旅する傍ら”いばや通信”を執筆している坂爪圭吾さん(id:ibaya)の言葉である。
(実際は”世界を旅する”などと言う言葉では表現出来ない活動、いや「活躍」をされている方だ)
余白。
文字通り、印刷などされていないまっさらな部分だ。
余白がる、と言うとなんとなく埋めなくてはいけない様な気持ちになるのは社会人の悲しい”性”だろうか。
埋めなくてはいけない、と言うとプレッシャーだけど「何に使ってもOK」って考えるとちょっと前向きになれる気がする。
一度ネガティブに考えると、そこからぐるぐると負のスパイラルに入って行ってしまうので多少無理矢理にでも前を向いた方が良い。
根っこの部分が多少暗くても、上に延びた枝葉が青々と茂っていれば大丈夫だと思う。
映画”風と共に去りぬ”の最後のシーンで「Tomorrow is another day」と言うセリフがある。
直訳すると「明日はまた別の日」と言う意味になるが、映画なので色々な意訳があると思う。
ただ、箱根ヶ崎は”あえて”直訳で「明日はまた別の日」と言う意味を押したい。
今日が終わって、寝れば明日はまた別の日である。
”今日”は終わってしまったが、明日はまだ始まっていない。いわば”余白”がある。
そんな不思議な感覚を持つ”余白”という言葉を、店名にしたカフェを見つけた。
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